徒然草
 
 
  日々、想った事や仕事の話、昔話について私感を気まぐれに書いてます
 


 
 
槙はジャキジャキやらないで!
 【槙は松と同じくらい美しい庭木です】
 たまに始めてのお客様から『あなたはどうして大鋏でやらないの?』 と言われます。何度も言われれば、その様に致しますが2度目はお邪魔致しません。なぜかと申しますとその様な手入れでよければ私よりもっと手早くやる業者はたくさんおります。私の感性としましては槙は松同様、割った枝に扇状の仕立てが出来る数少ない樹種ですので、それを大鋏/バリカンで円く刈るくらいならわざわざ槙を植えずともよろしいのではないかと思うのです。なかには天面をまっ平らにしてまるでベーゴマの様になっている木もたまに見かける事がございます。    槇・仕立
手入前
手入後 
 
 
 

これから庭造りをお考えの方へ
  【庭の主人公はやっぱり樹木なのですが
 庭を計画する際、一番注目する点はやはりどんな樹をどこへ植えるかという事ではないかと思います。予算配分にしても結構なボリュームになる事は間違いありません。主木ともなれば、ひと際大きめのサイズを考えることでしょう。そして出来るだけスラッとしたお行儀の良いモノを求めるのも人情です。確かに行儀の良い二枚目が庭に立っていればスッキリとした庭園にはなりますが、そればかりではどこか印象の薄い淡白なものになりがちです。ここで私が云わせて戴きたいのは、植える樹の幾分かは敢えてクセのある樹を植えるべきという事でして、そうした樹が立っている方が断然 庭全体の景観が強く印象に残るかと思います。そしてもうひとつ大事な事はそのクセ者(曲者)を数年後いかにして『美』に昇華させて行くかと云う事です。それは言うまでもなく、その樹の面倒を見る者の役目であり、且つその者の感性如何で事の成否が分かれます。昨今、樹は放任しておけば良いとする意見もチラホラ聞きますが、たとえ自然形を目指して植えた樹でもやはり姿は崩れますし更に放置しますと手に負えなくなり最後は伐採という事になってなんとも不本意な始末になっていきます。これから庭造りをお考えの方には人と自然が寄り添い暮らすという事は常に自然を調整し続けなければならないと云う事樹は庭の美を代弁する代表者であり、それを形創るのは人の感性だと云う事を認識して戴き、その作業に必要な費用配分も踏まえた上で植える本数や種類を考えていくと将来に渉って良い庭が出来ていくであろうと考えております。


  

山の樹と庭の木
  【庭木はなぜ毎年手を入れなければならないのか
 先日、こんな一問一答がありまして『山に行けば椿やモミジもあり、自然にのびのび育っているのになんで庭にある木は毎年剪定しなければいけないのかね?』とお施主。なるほど…私らはあまりにも当たり前過ぎてあらためて考えた事もなかったが暫く考え返答しました。『庭木と云うものは自然を凝縮・象徴するものだからなぜならば本当に手着かずの樹を住まいの傍らに置くと樹はその生長過程形を崩します。人間はモノを鑑賞する時あるべき姿形を無意識に想像・吟味していますから落ち着きのないその立ち姿に心の安定を搔き乱されるのではないでしょうですから私らはその樹種らしい立ち姿を維持する為に乱れた枝々を整理しながら毎年時節を違えず整えておる訳です。もみじは楓らしく、つばきは椿らしくです。とはいえ、やはり若干なりとも木に無理をさせているわけですからヤゴ、徒長枝も出すでしょうし枝が弱ったりもし、抜かざるを得ない事もあり、あらためて姿勢再生やり直しという事もあります。いずれにせよ一旦庭木として手掛けた木は『造形の域を脱してはいけない』ものであり、 自然樹っぽくするにせよ庭に置く以上は『自然を象徴する造形』の範疇にあるものだと理解しております。  

 

 
  
サツキの植え付けは根元を見せるもの
毎年、枯れていく
 あるお方から『サツキを見て欲しい』と言われ出掛けてみると、なるほど確かに弱っている。話を聞けば『2年前、業者さんに植えて貰ったんだが毎年、夏を過ぎたあたりから少しずつ元気をなくし1株2株と数が減っている』との事。確かに数株、すでに葉色がよくない。植え付けを観ればなんと深植えしてあるではないか。サツキは何より排水と通気性がひときわ大事な樹種なのです。
覆水盆に返らず
 お客様にしてみれば、なんとか生き残っているものだけでも助けて欲しいと言われますが、たとえ植付け直したところで必ず復活する保障はないし、その間の手間を考えると奥さんでは難しいでしょう。ならば新しい株で最初からやり直した方が良いとお話しします。落胆されているお客さんには誠に気の毒な話ではありますが・・・・

 

 
桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿
 【放任が一番良い?】
日本人にとって桜樹(特に染井吉野)は特別な思い入れのある樹といっていいかも知れません
私たちはそれぞれの喜びや哀しみを桜に照らし生きているかの様でもあります。
それだけに大切に思うあまり枝を切る剪定整枝を躊躇う向きもございますが、桜という樹は枝が重なり合い易く、且つ哀しいほどに風情のない真っ直ぐな枝が伸びやすい樹でもあるのでこういった枝を間違った放任主義で放置していった結果ハッと気づけばなんとも見苦しい出立ちになっており、ある時大枝を抜かなければいけなくなったり致します。この桜という樹、癒合が進まず傷が塞がる前に菌に侵され易く私らもさんざん炭を塗ったりしますが、期待する程ヤゴも出ず数年には見栄えも良くない事からやはり元から切除します。ではどうすれば・・・。やはり植栽する小さな時分から将来の姿を想像し、大胆に枝の整理をしておくべきでしょうそもそも桜は横に大きく拡がる樹種ですから普通のお宅に植えるには不向きな樹で先に述べた弱点もあり、よくよく検討された上で決められると良いかと存じます。
 
【背中の引っかき傷】
 一方、梅はどうかと云えば昔から『懐に登る時、背中に怪我をしない様にツルツルにしておけ』と教わります。これは徹底してヤゴや胴吹き、不定枝を抜けという意味ですが、梅は中枝の先に密に梢が揃う姿を良とする為、勢いよく伸びようとする当年枝は適宜、抑えていなければなりません。しかしむやみやたらと切っていたのでは花芽をも落とす事になりますので都度、枝の整理と先端の集約と云う意味での切り戻しを季節を間違えずやっていなければならない故『梅切らぬ馬鹿』と喩えるのであって兎に角、いつでも切っていれば良いのだと云う意味では決してないのでご注意を。

2年放置されていた白梅
2年掛けて枝割りして創った姿 
この梅と始めて出会った時、依頼主は『放っておいた方が元気に花がたくさん咲くと思っていた』らしく、樹を愛するあまり勘違いされていた様でした 
そこから2年掛けてここまで仕立てたのですが、理解できる方には出来ると思いますが梅を放置すると梢芽が幹から離れていってしまい、なんとも締りのない樹になってしまいます